石碑は3基あり、真ん中の1基は木立に隠れている。
建立当時の下の写真と比べると石碑の高さがが低く感じるが、
前面の道路が電車の踏切りの高さに合わせて嵩上げされたためであり、
灯籠はなくなっているが石碑自体は動かされてはいないようだ。
前列中央が小杉慶次郎氏(写真=小杉家提供)
浜松市積志・小杉慶次郎翁頌徳碑
所在地 浜松市東区積志町(遠州鉄道西鹿島線積志駅前東側)
建立年 1937年(昭和12年)
高さ 3.94m、幅 1.42m、厚さ0.23m
写真 (上)2013年2月、(下)1937年5月29日
碑文の題は『小杉翁頌徳碑』
遠州織物業界の先駆者で、輸出織物界の功労者である小杉慶次郎(1866年~1939年)の功績を称えて地元・業界関係者らが建立した。
小杉慶次郎は家業の藍染業を継承して織物業(丸九小杉織物工場)に転換したほか、各地を視察して同志とともに化学染色を行う西遠染色株式会社を1907年に創立し、1915年から37年まで約22年間の長きにわたり社長をつとめ発展させた。同社は1942年に他の9社との企業統合を決定し、翌年大和染工株式会社を設立した。大和染工は2007年に創立100周年を迎え、西遠染色を前身として位置づける『大和染工百年史』を発行している。
小杉慶次郎は家業・社業を発展させたほか、1927年、静岡県の委嘱を受けて当時の「朝鮮・満洲・支那」の繊維市場を視察して、帰国後、神戸に県の輸出織物斡旋所を新設して所長に就任した。
1933年には当時のジャワ、マレーなど南洋各地の市場調査を行い、遠州織物の販路拡大に大いに貢献した。このときの報告や旅行記は遠州輸出織物工業組合永久社が1934年に発行した『南洋にて得たるもの』(小杉慶次郎、木村新二の共著)という本に収められている。
また公職としては、浜名郡中郡村、積志村の村議、積志郵便局長、中郡報徳社社長などに就いている。
この石碑は社長退任を機に、同氏への感謝と古希の祝いを兼ねて建立されたと思われ、発起人11人や賛助員111名計122名の氏名が別の小さな石碑に刻まれている。
もう一つの石碑には
「海外へ輸出綿布の機の音
響く郷土そ国の礎 慶為」
と刻まれている。
丸九小杉織物工場の外観
同じ場所は現在「パラシオン・マルク」というマンションに変わっている。
参考文献:『大和染工百年史』2007年、『フースヒー 豊橋・岡崎・浜松号』1914年、『躍進の浜松』1940年、『遠州織物銘鑑』1935年ほか